大垣城

(九曜)

戸田氏
所在地 岐阜県大垣市
遺構残存度 ☆☆☆
築城者 宮川安定
築城年 天文4年(1535)
別 名 巨鹿城 (び)城



 大垣城は規模の小さな城ですが、濃尾平野の要として激しい争奪のあった城でした。
 なかでも、慶長5年(1600)の関ケ原合戦において、西軍の石田三成が本営と定めて入城し、全軍の指揮をとった事は有名です。

 関ケ原合戦後は、徳川家康はこの地を重視して、石川、松平、岡部など譜代大名をおき、寛永12年(1635)戸田氏鉄が10万石の領主として入城し、以後戸田氏11代が居城し、明治維新を迎えました。

 
 天守閣は天正13年(1585)、一柳直末の建造以来、400年にわたって4層4階建ての総塗り込めの優美な姿を伝え、昭和11年(1936)には国宝の認定をうけましたが、昭和20年(1945)7月29日の大垣空襲により焼失しました。
 その後、昭和34年(1959)に外観を昔のままに再建されました。現在内部は博物館になっています。



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