岩村城

(蔦)

松平(大給)氏
所在地 岐阜県恵那郡岩村町
遺構残存度 ☆☆☆
築城者 加藤景廉
築城年 文治元年(1185)
別 名 霞ヶ城



岩村城は海抜721m。徳川大名が治めた城の中ではもっとも高く、日本三大山城の1つです。現在も城の至る所に石垣がきれいに残っています。
 城の歴史は古く、源頼朝の家臣、加藤景廉が頼朝よりこの地を賜ったのが始まりだそうです。
 その後、景廉の息子景朝が遠山姓を名乗りこの地を治めました。(これが遠山の金さんの先祖だそうです)
 戦国時代は、信州と美濃を結ぶ要衝として、織田武田の合戦の場所になりました。
 武田信玄の武将、秋山伯耆守信友が落し城主となりました。

 天正3年、織田信長はこの城を奪い返し、のちに森蘭丸を城主にしました。
 その後、森氏、田丸氏と城主が替わり関ケ原合戦後は、松平、丹羽氏が入り、元禄15年(1702)松平乗紀が2万石で入り、のち3万石となって明治維新を迎えました。

 現在、城跡は石垣を残すのみですが、藩主屋敷跡には近年太鼓櫓が復元され(写真)、岩村町歴史資料館、民族資料館があります。

 岩村町は小さいながら昔の家並みを残した感じのいい町です。

 また、近くには明智町があります。明智光秀出生の地と言われていますが、わずかに光秀関係の史跡が残るのみです。光秀の復権運動が進んでいる今日ですので銅像ぐらいあってもよさそうですがありませんでした。
 それよりも、明智町は大正村として知られています。
 明治村のように大正時代の建物を集めたテーマパークかと思ったのですが、小さな明智町に点在する大正時代の建物を歩いて大正ロマンに浸るというものでした。町全体が大正村なのです。町歩きの好きな私にとって心憎い趣向でした。それにおじいさん、おばあさんが生き生きとしてはたらいておられたのが印象的でした。
 岩村と明智。良い町でしたよ。



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