山形城

(丸に二つ引き両)

最上氏
所在地 山形県山形市
遺構残存度 ☆☆
築城年 延文元年(1356)
築城者 斯波兼頼
別 名 霞ヶ城



 山形城は別名「霞ヶ城」。現在この名を取って城跡は「霞城(かじょう)公園」と称します。
 山形城の歴史は古く、延文元年(1356)足利の支族、斯波氏出身の斯波兼頼が羽州探題として山形に入部し城を築いたのが始まりです。
 兼頼から11代目の子孫、最上義光は戦国大名として武略、知略にすぐれ今の山形県のほとんどを手中に収めました。
 この義光のときに山形城とその城下町は整備され現在の山形市の基礎を作りました。

 特に、慶長5年(1600)関ケ原合戦時には義光は徳川方につき、上杉軍と交戦。その功により、24万石から一躍57万石の大名になりました。
 この当時城下の人口は3万5千人を超え、全国でも有数な大都市となり、「最上百万石城下」といわれるほど賑わったといわれます。

 しかし、義光死後の最上家はお家騒動がおき、義光の孫、義俊の代には最上家は改易。その後山形城は鳥居、保科など徳川譜代大名が入れ替わって入城し、最後は水野家5万石で明治維新を迎えました。

 現在二の丸東大手門が復元されています。



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