高田城

(榊原源氏車)

榊原氏
所在地 新潟県上越市
遺構残存度 ☆☆☆
築城年 慶長19年(1614年)
築城者 松平忠輝
別 名 なし



 高田城は、大坂の陣の直前、慶長19年(1614)に、北陸地方の押さえとして、徳川家康の命令で築城されました。
 このとき、加賀の前田氏、米沢の上杉氏など、13の大名が分担して築城にあたりました。
 高田城には家康の6男、松平忠輝が入城することになっており、そのため、忠輝の舅、伊達政宗が高田築城の総奉行として指揮をとりました。
 工事期間はわずか4ヶ月と、極めて短期間で終わり、そのため、全城石垣が無く土塁作りの城となりました。

 元和2年(1616)、松平忠輝は改易となり、その後には御三家に次ぐ家格をもつ、松平光長が入城し、高田藩最大の賑わいを迎えます。
 寛文5年の大地震からの城下の復興、直江津港の改修、治水工事による大穀倉地帯化など、家老小栗美作が中心となった繁栄政策を行いました。
 しかし、この政策は世に言う「越後騒動」を起こし、美作父子は切腹、光長は改易となりました。

 その後、高田は、幕府直轄の天領となったりしましたが、寛保元年(1741)、榊原政永が播州姫路から入封し、6代130年間、明治維新まで続きます。

 現在、城跡は高田公園として、桜の名所として知られています。
 平成5年、三重櫓が復元されました。



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