駿府城

(徳川葵)

徳川氏
所在地 静岡県静岡市
遺構残存度 ☆☆☆
築城年 天正17年(1589)
築城者 徳川家康
別 名 なし

 戦国大名、今川氏の居館を前身として、駿河を統一した徳川家康が居城として築いたのが、駿府城です。

 もともと、家康は幼少時代この地で今川義元のもとで人質として過ごしました。
 あれから26年。家康は駿河の大名として駿府に入り築城に着手しました。家康さん感無量だったと思います。

 しかし、家康は豊臣秀吉の命令により関東に国替えになり、駿府を去りました。

 家康が再び駿府に入ったのは、天下をとり、将軍職を2代秀忠に譲り、隠居して「大御所」となってからでした。
 しかし、政治の実権は大御所家康の手にあり、このため駿府城は天下普請として西国の大名を使って築かれました。今でも石垣に受け持ちの大名の刻印がうたれ、その普請の有様が今に伝わります。
その天守閣は5層7階の豪荘なもので、大御所政治の拠点にふさわしいものでした。(惜しいことに火災でなくなってしまいましたが)
駿府城全体の模型です。
 広大な敷地だったことがこの模型からもわかります。駿府の城下も大いに栄えました。
 家康の死後、駿府は家康の息子、徳川頼宣が入り、後に秀忠の息子徳川忠長が入りました。
 しかし、忠長が謀反の疑いを受けて領地没収、高崎に幽閉されると(後に自害)駿府は天領となり代官の支配を受けることになりました。

 明治になると、徳川家は新政府により江戸から駿府に移されました。
 このとき、当初、徳川家は藩名を『府中藩』にしようとしましたが、「府中」は「不忠」に読みが通じるとして嫌われ(と言うより新政府に遠慮して)、駿府の中央にある「賎機山(しずはたやま)」から「静岡」と称しました。
これが静岡という地名のはじまりです。



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