仙台城

(仙台笹)

伊達氏
所在地 宮城県仙台市
遺構残存度 ☆☆☆
築城者 伊達政宗
築城年 慶長7年(1602)
別 名 青葉城



♪広瀬川流れる岸辺、思い出はかえらず〜
『青葉城恋歌』で有名な青葉城です。

 関ケ原合戦後、伊達政宗は居城を岩出山から国分氏の旧城「千代城(せんだいじょう)」に移しました。この際、唐の漢詩「仙台初見五城楼」から、帝都長安の西山にある仙人のすむ高台にちなんで千代を「仙台」と改めました。

 仙台城は市街地の西、青葉山の丘陵にあり、広瀬川を外堀に自然地形を利用した「山城」です。
 本丸の規模は面積2万坪。江戸城につぐ規模であり、政宗の仙台城にかける意気込みが窺えます。
 実際、発掘調査では金箔瓦が出土するなど、豪壮華麗な城であったと思われます。

 仙台城は、政宗死後、2代藩主忠宗の二の丸造営により、青葉山の麓の二の丸を主郭とする行政府としての城に性格を変えました。



〈仙台城大手門〉
仙台城大手門は伏見城の門を移したものといわれています。豪壮な桃山様式を伝える門でしたが、昭和20年7月の仙台大空襲で焼失。もったいね〜!!

現在、大手門脇の脇櫓(上の写真)が復元されています。
〈本丸跡にたつ伊達政宗銅像〉
伊達政宗が開いた仙台市街を一望できる、仙台城本丸跡にある政宗像。本日も政宗公は馬上から仙台市をみつめています。
本当にかっこいいです。

 実は、この像はもともと戦前に建てられたものですが、戦争の供出により無くなりました。
 現在のものは、戦後に建てられた2代目です。




 〈瑞鳳殿〉
伊達政宗の霊屋です。
政宗は寛永13年(1636)70歳で亡くなりました。
翌年、政宗の命令により、青葉山に連なる経が峰に霊屋が作られ、「瑞鳳殿」と称しました。

桃山様式の豪華絢爛な霊屋で、昭和6年(1931)国宝に指定されましたが、昭和20年の仙台大空襲で焼失しました。
 昭和54年、再建されましたが工事に先立ち学術調査が行われ、政宗の遺骸とその副葬品が発掘されました。

 遺骨から、復元された政宗の容貌やその副葬品など瑞鳳殿そばの資料館に展示され大変興味深いです。
 
 政宗の遺品などは、旧青葉城三の丸跡にある「仙台市立博物館」に展示されていますので、仙台城に行ったおりには瑞鳳殿とあわせて見る事をお薦めします。



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