長浜城
![]() 豊臣氏(羽柴氏) |
所在地 | 滋賀県長浜市 |
遺構残存度 | ☆ | |
築城者 | 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉) | |
築城年 | 天正3年(1575) | |
別 名 | なし |
天正元年(1573)、江北の浅井長政を滅ぼした織田信長は、浅井攻略に功績のあった羽柴秀吉に江北を与え、秀吉は浅井氏の居城、小谷城に入城いたしました。
しかし、山城である小谷城は不便であるため、琵琶湖のほとり、今浜に新たに城を築きました。
秀吉が湖岸に城を移した理由は、琵琶湖の舟運を重視した領国経営にあったと考えられます。
天正3年には秀吉は小谷から今浜に移り、名を「長浜」と改めました。
天正10年の本能寺の変以後、山崎の合戦で明智光秀をやぶった秀吉は、信長の遺領配分を決めた「清洲会議」の決定に従って長浜は柴田勝家に譲り、勝家は甥の勝豊を長浜城に入城させました。しかし、その年の11月、秀吉は勝豊を調略、長浜城を無血開城させ、翌年の賎ヶ岳の合戦における秀吉方の拠点となりました。
賎ヶ岳合戦後は山内一豊が城主となり、山内氏が遠州掛川に移封後、徳川時代になって廃城になりました。
長浜城の遺構は彦根城他に移されました。
昭和58年、長浜市民の熱望によって、天守閣が再興されました。
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●太閤井戸 琵琶湖に残る太閤井戸。 現在、秀吉が築いた長浜城に残る唯一の遺構です |
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●長浜城旧大手門 長浜市の大通寺に残る長浜城大手門です。 桃山期の豪放な建築が偲ばれます。 |
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