松本城
(六曜) 戸田氏 |
所在地 | 長野県松本市 |
遺構残存度 | ☆☆☆☆ | |
築城者 | 石川数正・康長親子 | |
築城年 | 文禄2年〜3年(1593〜94) | |
別 名 | 深志城 烏城 |
松本の象徴、松本城。天守閣は国宝に指定されています。この黒い姿から別名『烏城』とも言われています。
松本城はもともと武田信玄が築いた『深志城』を前身とし、現在の姿にしたのは豊臣秀吉の命令で入った石川数正とその子康正の時代でした。
徳川時代になると、水野、戸田など徳川譜代の大名が入りました。
水野氏時代、いわゆる「嘉助騒動」と呼ばれる大規模な百姓一揆がおきました。首謀者の多田嘉助は松本城を望む高台にある勢高の刑場で磔にされましたが、このとき嘉助が城を睨むと天守閣が傾いたという話が残っています。確かに明治時代の古写真を見ると確かに天守閣が大きく傾いています。
しかし、これは老朽化によって土台の石垣が崩れたのが原因のようです。
近年、太鼓門も復元されましたが、北アルプスを背景に、小天守と辰巳櫓、月見櫓を従えて聳える天守閣は国宝の名に恥じず大変すばらしいです。
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