丸岡城

(立ち葵)

本多氏
所在地 福井県坂井郡丸岡町
遺構残存度 ☆☆☆
築城者 柴田勝豊
築城年 天正4年(1576)
別 名 霞ヶ城

 

 丸岡城は天正4年、柴田勝家の甥にして養子だった柴田勝豊が、北の庄城の支城として築いたのが始まりです。
 その後、福井松平家の付家老として本多成重が入城。1624年(寛永元年)成重が福井藩から独立し、丸岡藩4万6300石が成立しました。
 本多家4代ののち、有馬氏が入城。

 城域は周囲に5角形の堀をめぐらせていましたが現在は埋め立てられ、建物は天守のみが残ります。ちなみに、現存天守のうち最古の物言われています。

 この天守は昭和9年に国宝に指定されましたが、昭和23年福井大地震で倒壊。昭和25年文化財保護法の施行により重要文化財に指定されました。昭和30年、できるだけ古材を使用して再建。築城時の感触がそのまま残っています。

 しかし、この古色蒼然とした武骨なただずまい。戦国の野武士を彷彿とさせていい感じです。

 しかし、この城は内部がすごい。
 何が凄いって階段が急。急すぎる!!


 ここまで急角度だと階段じゃなくてはしごです。甲冑着て城兵は上り下りできたんでしょうか。

 あと、珍しいのは瓦。
 このお城の瓦は石でできています。


 福井で産出する笏谷石(しゃくだにいし)で加工されています。これは珍しいですね。
 おそらく、凍害をさける工夫なのでしょうか。よくわかりませんが。

 ところで、話がお城から離れますが、
「一筆啓上。火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」っていう文句、ご存知の方も多いと思います。これは徳川家康の家臣、本多作左衛門が戦場から妻に宛てた「日本一短い手紙」。
 昔、国語の時間、「要点を短くまとめた好文例」なんて国語の教材に紹介されていました。
 さて、この中の「お仙」というのは作左衛門の嫡男仙千代のこと。この仙千代がここの城主本多成重のことです。
 ということで、作左衛門の「日本一短い手紙」にあやかって丸岡町は「日本一短い母への手紙」を全国に募集。それをまとめた本が昔、ちょっとしたブームになりました。



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