清洲城
(織田木瓜) 織田氏 |
所在地 | 愛知県西春日井郡清洲町 |
遺構残存度 | ☆☆ | |
築城者 | 不詳 | |
築城年 | 文明10年(1478)頃 | |
別 名 | なし |
復元された清洲城天守 | 清洲城跡の碑 |
織田信長の居城。桶狭間の合戦時、信長が出陣した城として有名です。
本能寺の変のあと織田信長の次男、信雄が城主となり、天正14年(1586)大改修をおこない、「東海の巨鎮」とまで言われるほどの名城になりました。
織田信雄のあとは、秀吉の甥豊臣秀次が入り、ついで福島正則が入城しました。
関ケ原の合戦後は、家康の4男松平忠吉が入り、忠吉死後は家康の9男徳川義直が入りました。
しかし、慶長15年(1610)、家康は清洲廃都、名古屋遷都を指令。「天下の名城」「東海の巨鎮」といわれた清洲城はその城下6万都市とともに姿を消しました。これを「清洲越し」と言います。
「思いがけない名古屋ができて、花の清洲は野になろう」と当時の歌は清洲の廃都を惜しんだそうです。
城跡は現在清洲公園として残っていますが、五条川をはさんで反対側に平成元年に模擬天守が建造されました。
清洲城跡にある信長像。桶狭間方面を見ています。 かっこいいんですわ。また。 |
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