福井城

(三つ葉葵)

越前 松平氏
所在地 福井県 福井市
遺構残存度 ☆☆☆
築城者 結城秀康
築城年 慶長6年(1601)
別 名 なし




福井城天守台(上)と福井城天守閣復元外観図(左)
 福井城は、柴田勝家が築いた、北の庄城を前身とし、徳川家康の次男、結城秀康が北の庄城を整備改修しながら新たに築城したのが始まりです。

 結城秀康は、関ケ原合戦後、越前67万石の大封に列せられ、その折に松平姓に復しました。
 城は、家康の次男にふさわしく巨大なもので、本丸と二の丸の縄張り(設計)は家康の手によるものと伝えられています。
 
 本丸には高さ37メートルの4重5階の大天守が聳えていましたが、寛文9年(1669)に焼失。以後再建されませんでした。

 明治4年、城内の建物は破却され、現在本丸跡には、福井県庁があります。
 昔は、お城は地域の政治の中心でしたが、福井県では現在も政治の中心はお城にあります。(笑)



● 北の庄城

 織田信長の越前攻略に功があった柴田勝家は天正3年(1575)北の庄の地に城を築きました。
 言い伝えでは、7層とも9層とも言われる大天守があったそうです。
 天正11年賎ヶ岳の合戦に敗れた勝家は、北の庄城に逃げ戻りますが、秀吉の追撃を受け、ついに城に火を放ち、妻のお市の方とともに自害して果てました。
 その後、北の庄には丹羽長秀などが入りましたが、結城秀康の福井築城により廃城。石垣も福井の新城へ移動されました。

 現在、本丸跡と言われる場所に柴田神社が建てられ、慰霊碑や、勝家、お市の方の銅像があります。しかし、飲み屋街の真ん中にありますので当時を偲ぶ面影は何もありません。車をとめる場所もないので、車で行かれる方はご注意ください。(笑)



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