越前大野城

(丸の内水車)

土井氏
所在地 福井県大野市
遺構残存度 ☆☆☆
築城者 金森長近
築城年 天正3年(1575)
別 名 亀山城



 天正3年(1575)、織田信長は一向一揆が支配していた越前を平定した後、戦功のあった金森長近に大野郡を与えました。
 金森長近は「亀山」の丘陵に城を築き、その東に短冊状の町割を行った城下町を作りました。これが、「北陸の小京都」と呼ばれる越前大野の起こりです。

 金森長近が天正14年、飛騨高山に転封になり、その後城主は度々交代しましたが、天和2年(1682)、徳川幕府重臣、土井利勝の4男利房が4万石で入封。その後明治維新まで土井氏が治めました。

 幾度かの城下の大火により、城も類焼しましたがその度に再建を重ねました。しかし、明治の廃城令により建造物は破却されました。
 現在の建物は、昭和43年に往時を想定して再建され、天守内部は金森氏、土井氏の遺品の展示を行っています。

 麓には駐車場があり、車をとめて城下町を散策しても面白いでしょう。



●大野市郷土資料館
越前大野城の登り口にある大野市郷土資料館。
もともと、大野治安裁判所の建物でした。明治中期の地方の裁判所の遺構としては全国でも貴重な建物だそうです。


●朝倉義景の墓
越前の太守、朝倉義景は織田信長の猛攻を受け、本拠一乗谷を落ち、一族の朝倉義鏡の大野に落ち延びました。
しかし、義鏡は義景を裏切り、自害に追い込みました。
義景の辞世
「七転八倒 四十年中 無多無自 四大本空」



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