京都をゆく 第二部

 さて、近江屋跡を見終わった後は、土佐藩邸跡へ。
 土佐藩邸跡は通りをはさんでほぼ斜向かいにありました。
 当時を偲ぶ物は、土佐藩邸内にあった稲荷、「土佐稲荷」ぐらいしか残っていません。
 ガイドブックではこの近くに土佐藩邸の史料が展示したコーナーがあるとのことですが、よくわかりません。下調べがずさんです。(苦笑)

 角倉了以が運河のかわりに造った高瀬川のほとりを、三条方面にもどってゆくと、「彦根藩邸跡」など各藩の藩邸跡を示す石碑が建っています。このあたりは昔は各藩の藩邸が軒を連ねていたようです。

 木屋町通りを三条大橋のたもとまでもどってくると、そこには「瑞泉寺」というお寺があります。
 実は、このお寺は豊臣秀吉の甥、豊臣秀次の菩提を弔うお寺です。

 実は、この秀次というお人は、叔父の秀吉の養子になり、関白職になった人物。
 しかし、秀吉に実子秀頼が生まれると、秀吉に疎んじられます。
 そこで、秀吉に謀反の疑いをかけられ結局自害に追い込まれるのですが、彼の妻妾とその子供、あわせて39名が三条河原で処刑され、その亡骸はひとまとめにされ「悪逆塚」と言われて葬られました。
 その悪逆塚を角倉了以が高瀬川を掘削したときに掘り起こされ、その場所に秀次とその一族の菩提を弔うためにつくられたのが「瑞泉寺」でした。
 今回は見学しませんでしたが、豊臣政権の崩壊を予感させる秀次事件のゆかりの寺として興味が残ります。

三条大橋は、京都の入口。
東海道五十三次の終点(京都出発でしたら始点)になります。
幕末動乱期、この橋を京都を目指して上洛した、将軍や藩主、多くの武士、浪士、志士たちが渡ったことでしょう。
また、この橋を渡って京都に入ったまま、非業の死を遂げた人物も多くいたこ
とでしょう。
ところで、三条大橋を渡って三条京阪の駅のそばに、土下座をしている男の大きな銅像があります。
この人物は、高山彦九郎。江戸時代寛政期の人物です。詳しくは、本編「有名人銅像拝見」を御覧下さい。
まあ、簡単にいうとこの当時としてはかなり変わった人物なのですが、勤皇思想の運動家です。

年少期に勤皇思想に目覚め、以後全国を回りながら勤皇思想を広めました。
 彼は、京都の入口三条大橋に着くと皇居のほうに膝まづいて遥拝したそうで、その銅像はそのときの様子をあらわしたもの。
 今日では、「ドゲザ像」と京都市民から呼ばれているようです。

さて、三条通りを西方面に引き返します。

通りを歩いているとパチンコ屋さんが。
ちょっとこちらでトイレを借りることにしました。
用を足して表に出ると、「池田屋騒動之址」の碑が。
池田屋の跡はパチンコ屋になっていると聞いたことがありますが、偶然入ったパチンコ屋がここだとは。嬉しい(?)偶然です。

 池田屋事件は、皆さんご存知ですが、新撰組が勤皇過激派志士を襲撃した事件。
 新撰組の映画では池田屋事件は大立ち回りのクライマックス。「蒲田行進曲」では階段落ちをするあの事件です。この事件で一躍新撰組の名前は天下に鳴り響きました。
 この事件で、勤皇派の志士の多くが討たれ、そのため明治維新が1年遅れたと言われていますが、司馬遼太郎氏は却ってこの事件で発奮したため明治維新が早まったとも言っておられ、結局早まったのか遅くなったのか私にはわかりません。

 さて、次は二条城に向かいます。

二条城は京都における徳川幕府の居城。
将軍が上洛の際、滞在する城です。
ニノ丸御殿は、現在に御殿建築を残す貴重な建物です。おそらく、江戸城の本丸御殿も二条城に近い様式なのではなのかと思います。
慶応3年、徳川慶喜が在京の諸藩の重臣を集め、大政奉還の発表をしたのもこのお城です。
二ノ丸御殿内の柱や長押の太さには驚かされます。
他の古いお城もそうなのですが、使っている木材が太い。昔はそういう木材がふんだんにあったのでしょう。今ではちょっと考えられません。
障壁画や欄間の彫刻、長押の釘隠しの金具の彫刻など見事と言うほかありません。
徳川将軍家の権威をあらわすのですから、当然なのですが、当時の工芸のレベルの高さには今更ながら驚かされます。

二条城を見学し終えると、今度は壬生へと車を走らせます。

壬生はご存知、新撰組ゆかりの地。
新撰組が結成され、その屯所があった場所です。新撰組は壬生の浪士たちということで「壬生浪(みぶろ)」とも呼ばれていました。
 壬生の住宅街の細い道を入ってまず壬生寺へ。

壬生寺は新撰組ゆかりの寺。
芹沢鴨などの新撰組隊士の墓があります。
私たちが訪れたときも拝観の人が大勢いました。
でも、今でこそ、新撰組のお寺として有名ですが、お墓の位置からして、境内の片隅にお墓があり、当時はいい待遇ではなかったのかと思います。

壬生寺からすぐそば、郷士八木邸へ。

壬生の郷士、八木家は越前の戦国大名朝倉家の末裔。
新撰組の屯所になりました。
この門を、近藤や土方沖田たちが通っていきました。
現在、八木家は夏期のみ公開。この日も公開中でした。
この八木家は、新撰組の内部粛清、芹沢鴨の殺害があった場所です。
芹沢が殺されたのは玄関を入ってすぐの部屋。妾と同衾中に近藤土方沖田たちに殺害されました。
その模様を、八木家に伝わる話をもとに解説してくださる方がいて興味深くお話を聞かせていただきました。

 八木邸の前には「鶴屋」さんという八木家が経営しているお菓子屋さんがあります。
 こちらではいろいろありますが会社への土産に煎餅を買っていきました。

 
 壬生から再び三条へと車を戻します。
 時刻も5時をまわり、そろそろ夕飯時。
 実は、われわれ一行の知人に「京都に言ったらここに行け」といわれたお店があります。
 それは、すき焼きの老舗「三嶋亭」さん。三条にあります。

 やや、時間が早いのでその前に円山公園に。
 円山公園は八坂神社の裏。実はここに坂本竜馬と中岡慎太郎の銅像があります。
 少ない時間を利用して、取材活動をします。(笑)

 銅像を撮り終えた後、八坂神社を見て、三条に戻ります。

 寺町通り、西京極通りを散策してみやげ物を買って三嶋亭さんへ。
 三嶋亭さんは寺町通り沿いにある、すき焼き屋の老舗。
 古い階段を上がって一室に通されます。普段貧乏生活している我々にはちょっと緊張します。

 仲居さん来て肉を焼いてくれます。そして一口。
 う、うまい!!
 二人はうまいうまいといいながら食べました。肉はやわらかく、焼き加減等絶妙。いいものを頂きました。よい京都での思い出ができました。


 さて、京都での日程を終え一路松本へ。
 帰りの運転はFさんにまかせ、私は途中からZZZ。Fさんすみません。へへへ。

 さて、今回は幕末に絞って京都を回りましたが、時代を絞っても回りきれません。今回回りきれなかった場所を再び回ることを誓いつつ今回の旅を終了しました。
 しかし、日帰りの京都行きは疲れた!!


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