徳川家康
とくがわ いえやす
1542〜1616
略歴:
超有名人だからパス
 

 この間、小学生のアンケートによると、尊敬する歴史上の人物で、男子小学生の一位が「徳川家康」であった。ちなみに女子小学生の場合でも上位5位に入っていた。
 意外である。そう言えばNHKの歴史番組で行った人気投票でもそのトップは徳川家康であった。
 僕らが小学校の頃の人気の人物は「織田信長」であり「豊臣秀吉」であった。「徳川家康」は例の大坂城を攻めたときの、老獪なイメージがあって、仲間の間では不人気であった。
 よく言われることだが、信長、秀吉が大きくとりあげられるのは経済の成長期であり、家康がとりあげられるのはおおむね、低成長期である。
 大河ドラマでも、昭和40年(いざなぎ景気)、吉川英治「太閤記」(秀吉)、昭和48年(列島改造論)、司馬遼太郎「国盗り物語」(信長)が放映されたが、その時代背景はそれぞれ経済成長期にあたる。それに対し山岡荘八「徳川家康」が放映された昭和58年は、低成長期にあたる。ちなみに、あの「おしん」が放映されたのも、この年である。家康が、現在人気が高いのも、不景気な今の時代様相を反映されているのであろう。
私が小学生の頃最初に読んだ伝記は「徳川家康」であった。信長も、秀吉も読んだが家康が一番よかった。何故だかわからないが、子供の頃に他家の人質になって苦労したというのが子供心に共感したのかもしれない。周囲の友達はアンチ家康が多かったが、そんななかでもご贔屓だった。
家康を演じた役者さんは多いが、よかった役者をあげると、NHK「真田太平記」の中村梅之助、TBS「関ケ原」の森繁久弥がよかった。
 NHK大河「徳川家康」の滝田栄も好演したが、ちょっとかっこよすぎたような気がする。最近では、なんと言っても「葵 徳川三代」の津川雅彦。けっこういい味をだしている。が、家族からは「あの爪を噛む癖だけはやめてほしい」と言う。たしかにあれだけは見ていてよい物ではない。
 しかし、実際、爪を噛む癖はあったようである。それも、合戦で味方が危ういときに、その癖はでた。
 関ケ原合戦で、内応を約束していた小早川秀秋が約束通り東軍に寝返らず、西軍に押され続けていた時も、その癖がでた。
 ものの本によると「家康公は、弱冠のころより味方危うきときは指を噛ませ給ふ癖ありしが、このときもしきりに指を噛み給ひ、倅めに計られ口惜し、口惜しと言われけるが」(黒田家記)と言う状態であった。
 癖と言えば、家康にはもう一つ合戦時におきる癖がある。これも味方危うしとなると、乗っている馬の鞍をこぶしで、ドンドンと叩くのである。これも、若年からの癖でタコができ、ついに晩年には、指の曲げ伸ばしが自由にならなくなったという。
 合戦といえば、家康は異常と言えるほど気が昂ぶるらしい。まあ合戦直前というと、どの武将も昂奮したであろうが、関ケ原の役における家康の昂奮ぶりはちょっと異常である。
 合戦が行われた、慶長5年(1600)9月15日の早朝。関ケ原一帯は、深い霧に覆われていた。当然、家康の本陣のおかれた桃配山も深い霧に覆われている。霧がはれねば合戦にならない。家康は開戦までの重苦しい時間をいらいらと待たねばならなかった。その家康の前に、旗本の野々村四郎右衛門という者が霧のため迷い込み、あやうく家康の顔に馬の尻が触れようとした。平素と変わって昂奮状態にある家康は、やおら剣を抜き、野々村を斬り捨てようとした。野々村は家康に気づきその場を逃げ去ったが、家康はますます怒って、側にいた門奈長三郎という者の旗指物を切り払った。一般に家康といえば「慎重居士」、「堪忍の人」というイメージがあるが、そんな一面をこの人物は持っていたのである。
 そう言えば、この家康という人物、若年の頃、勝ち目のない合戦でありながら武田信玄の大軍と、浜松の北、三方ヶ原で戦ったことがある。そのときの理由が振るっている。「信玄がわが領内を通過するのを黙ってみているぐらいなら、刀を折って降伏したほうがましである」
 当然、家康はこの三方が原の戦いで、信玄の前に大敗した。家康はこのとき失禁して居城の浜松城に逃げた。しかし、かなわぬまでも信玄に一戦を挑んだと言うこの経歴は「家康は勇気がある」という評判をつくり、その後の家康の生涯にとって大きな財産となった。
家康と言えば、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」のことわざのイメージで、気の長い人物のように思われがちだが、これらの事を考えると、元来この人物は気の短い人物だったのではあるまいか。その気の短さを、若年の頃から養った忍耐力でカバーしてきたのではなかろうか。それを死ぬまで保った点(極限状態では時々破れるが)やはり只者ではなかった。
関ケ原役の直前、家康が得ていた天下の評判は「徳川殿は律儀」と言うことだった。確かに、家康の経歴はその評判を裏付けていた。織田信長が四方に敵に囲まれて窮地に立たされたことがあったが、そのときも信長の同盟者として裏切らず、そのため武田信玄と戦って三方が原の戦いで大敗北をくらうし、その信長から最愛の息子、信康を殺すように命じられても、その命に従い、その後も裏切ることなく仕えた。

 信長が本能寺の変に倒れたあと、秀吉が天下を取ると、家康はこれに従順に仕えた。そのような経歴が「徳川殿は律義者」という評判をつくった。ところが、秀吉の死の直後から人が変わったように天下取りの策謀をめぐらしてゆく。特に大坂攻略のときの策謀は最早、犯罪的である。
 「律義者」と「策謀家」の二つの顔を同時にもつ、この家康という人物。やはり一筋縄では捕らえられぬ人物である。





記憶に残る「映像の家康」
本文でも少し触れましたが、私の記憶に残っている「映像の家康」あれこれです。

森繁  久弥 TBS「関ケ原」
 司馬遼太郎の小説「関ケ原」の映像作品。TBSの正月の特番として三夜連続で放映されていた。そのため、配役は豪華な顔ぶれとなり、特に島左近役を演じた三船敏郎は当り役との評価がいまだに高い。
 さて、森繁さんの家康だがこれもはまり役である。秀吉が生きている頃は田舎じじいみたいな風貌だが、秀吉が死んで天下取りに向けて動き出すと武将の顔に豹変する。
 腹心の本多正信(三國連太郎)と謀略をめぐらしながら着々と天下取りの布石を敷いていくところなど狸じじいぶりがよく表れている。
 
中村 梅之助 NHK「真田太平記」
池波正太郎「真田太平記」の映像版。「真田物」と言う事で家康は敵役になるわけだが、主人公真田信之の主君でもあり、信之のよき理解者として描かれている。
 梅之助さんの家康は丸顔で家康のイメージに1番近い感じがする。私が1番好きな「映像の家康」である。
 ちなみに秀忠役は梅之助の息子の梅雀さん。親子役を実際の親子で演じていた訳である。こちらもハマッてましたな〜。
 
滝田 栄 NHK「徳川家康」
 山岡荘八の大河小説「徳川家康」を原作とした大河ドラマ。
 幼い人質時代から家康を描いており、青年武将から天下人として死ぬ大御所家康までを滝田栄が好演している。
原作が家康を平和の求道者として描かれているので映像の家康もそのように描かれている。
 配役はベテラン陣を多く配し豪華な顔ぶれとなっており、安心して見られる「骨太な大河」となっている。
 ただ、難点を強いてあげるとすれば膨大な原作を一年という限られた期間で描かねばならないため、やたらナレーションが多いことであるが、これはどうしようも無いことだと思う。
 見所はいくつかあるが、私は我が子信康に切腹を命じなければならない人間家康の苦悩が大きな見所だと思っている。
 
津川 雅彦 NHK「葵 徳川三代」
津川雅彦さんは実は2度大河ドラマで家康を演じている。
1度目は「独眼竜政宗」。2度目は「葵 徳川三代」で、いずれもジェームス三木が脚本である。
「独眼竜」での家康はオーソドックスな家康であったが「葵 徳川三代」では、爪を噛んでは吐いたり、秀忠や家臣を殴ったりかなり毒の強い家康であった。
 「滝田家康」はどちらかと言うと優等生型であるのに対し、「津川家康」はかなり実像に近いような気がしないでもない。
 実像に近いと言えば関ケ原の合戦で武将が着用している甲冑はそれぞれの武将が実際に着用していたものを復元して使用している。(もちろん実物や資料が残っている物のみですがね)
そういうところを見るのもこのドラマの楽しみの1つではある。



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