『坂の上の雲』とは


 『坂の上の雲』は司馬遼太郎の代表作である。
 近代日本の始まりから、最大の試練となった日露戦争の集結までの明治日本の様々な群像を描く。
 この作品の主人公は、大きな意味では、この当時の日本人であると言えそうだが、絞って言えば数十人になりそうだが、作品は3人の伊予松山人にスポットを当てている。
 日露戦争で世界最強といわれたロシヤのコサック騎兵を破り、日本騎兵の生みの親となった秋山好古。
 その弟で日本海海戦で連合艦隊の参謀をつとめ、バルチック艦隊をことごとく沈めた秋山真之。
 その友人で、近代短歌、俳句の祖正岡子規。
 この3人の成長と友情と情熱を、勃興する近代日本を背景に生き生きと描いている。
 『坂の上の雲』の名前の由来は何であろう。
 その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、このつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかをということを書きたいとおもっている。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
                             (『坂の上の雲』1巻あとがきより)
 たしかに、日本と、日本人は近代国家を形成する上で様々な試練の坂を越えねばならなかった。そして、最後の試練の坂が日露戦争であった。しかし、この坂を越えて行く上で、日本人は「坂の上の雲」を夢見て、黙々と越えていった。その意味では厳しい時代であったが、前向きで健全な、まさに日本の青春期といえる時代であった。
 日本の青春を描いたこの「坂の上の雲」は、おそらくこの時代を描いた他の作品の追随をゆるさず、この後もこの作品にまさる作品は出ないのではないかと思われる。また、時代小説全体からしても、スケールの大きさ、人物、時代描写の確かさからも、第一級の扱いを受けてもいいだろう。まさに「国民文学」といえるのではあるまいか。
 それだけに映像化が望まれるが、司馬氏はこの作品の映像化を許さなかった。と、言うのもこの作品の性質上、軍事的描写が多く(と言うよりほとんどだが)それだけに、下手に作品化することによってミリタリズムに走ってしまうことを恐れたからといえる。
 私個人としても、作品化はどうかと思われる。下手に映像化することによってこの作品の魅力を十全に引き出すことは不可能と思われるし、魅力あふれる登場人物たちを演じきれる若手の俳優がいないのではないかと思う。
 しかし、「二百三高地」(東映)という映画がある。
 この作品を見れば「坂の上の雲」の影響を濃厚に受けている感じがする。製作者の意図はわからないが、「坂の上の雲」を無視して製作したとは思われない。その点では「二百三高地」は「坂の上の雲」の旅順番の映像化作品と言えそうである。
 映画「二百三高地」東映



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