明智光秀
あけち みつひで
1528〜1582
略歴:
美濃国(岐阜県)出身
名門、土岐源氏の流れをくむも、斉藤義童に攻められ浪人になる。
一時、朝倉氏に仕えるも、のちに、織田信長につかえ頭角をあらわし、近江、丹波を与えられる。
1582年、天下統一目前の信長を「本能寺の変」で倒すも、羽柴秀吉に「山崎の合戦」で敗れ、敗走中に殺される。

<本能寺の変>
明智光秀と言えばやっぱり「本能寺の変」の謎だろう。
何故本能寺の変をおこしたのか?というのは、古来からいろいろ言われているが、その真相は謎である。
古来言われているのは以下の通りである
1.怨恨説
たびかさなる酷いしうちを信長から受けていたことへの報復。
怨恨の理由としては、実の母を見殺しにしたこと。徳川家康の接待役を解任されたこと。大衆の面前で罵倒され、なぐられたこと。丹波の領地を召しあげられ、まだ敵の領土である、出雲の国替えになったこと等あげられる。
2.共謀説、黒幕説
信長と敵対する勢力が光秀と共謀し、もしくは黒幕となって光秀を動かしたのだという説。
黒幕の人物として、朝廷、秀吉、家康、堺の豪商等の名前があがっている。
3.野心説、野望説
光秀が信長にとってかわって天下を取る好機をねらっていたという説。
ほんのうじのへんの起きた天正10年6月には、京都周辺で、大軍を率いていたのは光秀だけであり、その他の武将は、戦争中であった。わずかな家来しかつれていない信長を討って天下をとるには、この時しかなかった。
他にも色々あるようだけど、この3つが、今のところ有力な説である。
しかし、1.の怨恨説、3.の野心説は、後世の人が、本能寺の変の理由を推測してできたような説に思えるし、2.の黒幕説をもちだすにしては、本能寺の変後の光秀の動きが緩慢で、場当り的な行動が理解できない。また、黒幕や共犯者がいれば、即座にその人物が光秀への支援行動をおこすはずであるが、その動きは誰一人とらなかった。
私は、本能寺の変を光秀の発作的行動、衝動的行動とみる。つまり、天正10年6月の時点で信長のいる京都周辺で大軍を率いていたのは光秀だけであった。そのことに気づいた光秀は、信長暗殺を決意したと思う。
ここまで書くと野望説と重なるが、野望説は、常日頃から天下とりの好機を狙っていてチャンスをつかんだのに対して、発作説、衝動説では、天下とりよりも、むしろ信長個人を殺したかったのだという方に重点をおいている。つまり天下をとる為に信長を殺すのではなく、信長を殺すことが目的だったのだということである。しかもそれは、信長を殺すチャンスに気づいて、はじめて決意したのではないかと思う。
光秀の信長殺害の動機は「将来への不安」だった。
信長はこの時期、天下統一を目前にして重臣達の粛清を行なっている。林通勝、佐久間信盛といった信長が青年時代から仕えていた重臣たちをささいな過失を理由に失脚、追放している。
中国のことわざに「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)煮らる」という言葉がある。これは、すばしっこいうさぎが死ねば、もはや猟犬はいらなくなって煮てくわれるという意味で、そこから敵国がほろびた後は、戦争で手柄のあった家来でも見すてられることのたとえである。
光秀は、中国の書物にくわしかったから、この言葉は知っていたであろうし、信長の天下統一が進めば進むほど、自分が林、佐久間のように失脚させられる日が近いのではないかという恐怖感は日増に増大していったのではなかろうか。
会社の創業期から成長期にかけて活躍したサラリーマンが、一転して、リストラの恐怖におののいているのと、心情的には同じであろう。
この恐怖感が、信長の隙を見た時、衝動的に謀反を決意したのではないだろうか。これが本能寺の変の真相なのではないかと思う。


<光秀は生きていた?>
山崎の合戦で敗れた光秀は、居城の近江坂本城へ敗走中、京都山科で、落武者狩りの名もない農民の竹槍にかかって死亡したということになっている。
しかし山科で殺されたのは影武者で、本物は無事落ちのびて、徳川家康に仕え、天海僧上になったという説がある。
天海とは何者か。
天海とは家康に仕え、大坂の陣で豊臣家を攻める計略や、江戸の町のアウトライン造り等、家康のブレーンとなり、家康の死後、日光東照宮をつくる等、徳川幕府創立の基礎づくりに従事した人物で、死んだのが、108才とも、135才ともいわれている。
この天海の前半生は実は不明なのだ。
仮に天海の前半生に光秀の生涯をあてはめると、天海の前半生の空白がピタっとあてはめることができる。
光秀が生きていたなんてぇ〜って一見荒唐無稽に思えるけど、調べれば結構面白いし、また特集を組んで発表します。まぁ今回は予告編ってことで。



よく、ドラマなんかで、光秀を演じる役者さんは、光秀のインテリっぽさを表す為にいい役者さんを起用します。
大河だけでも
・近藤正臣    (国盗り物語)
・村上弘明    (秀吉)
・マイケル富岡   (信長)←ちょっとイメージじゃなかった
だし、民放でも千葉真一の光秀というのもありました。
でも実際の光秀は、信長よりもトシだったし、本能寺の変の直前なんか、かなりくたびれたオッサンだったんじゃないかと思う。
だから、「インテリ」+「くたびれてます」が程よく合わさっている清水紘治あたりがはまり役なんじゃないかとおもいますが。
いかがでっしゃろ。



「日本史人物伝」トップに戻る


「松代屋重五郎」トップに戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送