由比正雪 (1605〜1651)





銅像のある場所 静岡県静岡市 菩提樹院

 『慶安太平記』と云われた慶安の変の首謀者、由比正雪。
 時代劇では時々登場しますが、幕府転覆の陰謀家としてどちらかといえば悪役が多いようです。(私の中のイメージでは、今は亡き成田三樹夫かな)

 由比正雪は静岡生まれ(駿府と由比の両方の説あり)。家業の紺屋を嫌って、武芸学問を好み、楠流の軍学者となり「張孔堂」を開き多くの門弟を集めました。その勢いは紀州藩主徳川頼宣に進講するほどでした。

 ときに、巷では幕府によって取り潰された多くの大名家の浪人があふれ、一種の社会不安になっていました。
 正雪は、幕府の大名統制、浪人対策に警鐘を鳴らすために、叛乱を企てたと云われています。(幕府転覆という大それたものではなく実際は政策の転換をうながすのが目的だったようです)

 時に慶安4年(1651)。将軍はまだ幼く、将軍位に就いたばかりの4代家綱。正雪の計画では、江戸に火を放ち混乱に乗じて江戸城に進入。将軍家綱の身柄を拘束。それに呼応して正雪自身は駿河の久能山に在るといわれた家康の遺産を奪って軍資金とし駿府城に篭城。そして京、大坂でも騒動を起すというものでした。
 しかし、正雪の企ては幕府に密告され事前に発覚。すでに駿府入りをしていた正雪は捕吏に取り囲まれ自害して果てました。



由比正雪の首塚

由比正雪の首は謀反人として安倍川の刑場に晒されました。
その首は縁者によって引き取られ、菩提樹院に埋葬されました。
のちに、菩提樹院が移転しましたが、首塚も一緒に移転されました。



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