山県 大弐 (1725〜1767)





銅像のある場所 山梨県中巨摩郡竜王町 山県神社境内

 山県大弐[やまがた・だいに]は兵学者ですが、尊王論者としてよく知られています。
 「柳子新論」を著しましたがその中で「天に二日なく、民に二主なし」と言って尊王論を説き、幕府を批判します。これは幕府の権勢が盛んであった当時とすれば途方もないことだったと思います。
 さらに、日頃の兵学の講義で江戸城攻略の軍略講義を行うなど不穏な言動により幕府に処罰され、幕府転覆を図った罪で処刑されます。これを「明和事件」と言います。

 しかし、彼の尊王論はのちに明治維新の原動力となります。ちなみに大政奉還によって幕府が倒れるのは大弐の死後ちょうど100年後のことです。高山彦九郎とならんで尊王思想の先駆者といえるでしょう。

 明治24年(1891)、政府より正四位を追贈され、大正10年(1921)山県神社が創建されました。


 高橋克彦『広重殺人事件』でも山県大弐が登場します。浮世絵師安藤広重と山県大弐を結ぶ意外な展開が面白いのでご一読をお薦めします。



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