聖徳太子 (574〜622)





石像のある場所  長野県佐久市 鼻顔稲荷

 古代史の有名人、聖徳太子です。

 彼の業績は、十七条憲法、官位十二階、遣隋使の派遣など教科書に取り上げられている通りです。
 聖徳太子はそれまでの原始的な国家組織から、中国のこの当時最新的な国家体制=律令体制を取り入れ、国際的に通用する近代(?)国家に変革しようとした改革的な政治家だったのではないかと思います。それだけにこれまで権力を持っていた豪族たちとは軋轢があったのではないでしょうか。

 一般的には聖徳太子というと旧一万円札の肖像をイメージしますが、それは明治以後の紙幣や教科書に載せられた肖像画がもとで、それまでの明治以前の一般的なイメージはこの写真のような「聖徳太子孝養像」だったと思います。(聖徳太子を描いた多くの仏画や木像のほとんどが孝養像である)

 「聖徳太子孝養像」は袈裟を着け、柄香炉を持っており、これは太子16歳のおり父、用明天皇の病気平癒を祈った折の姿をあらわしたものといわれています。

 聖徳太子は法隆寺など大寺院を建立し、また大工道具の曲尺を発明したという伝承を持つことから大工の神様として崇められ、大工さんの仲間で「太子講」という講が各地で組織されるなど、建築業界では太子信仰が盛んでした。(現在でも大工さんの中では聖徳太子を信仰している人は多い)
 この像の建立の趣旨は不明ですが、この地方の太子講の人たちが建てたのかも知れず、恐らく全国にも太子講によって建てられた太子像は数多くあるのではないでしょうか。



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