大野 伴睦 (1890〜1964)
銅像のある場所 岐阜県羽島市 岐阜羽島駅前
戦後を代表する党人派政治家。大野伴睦(おおの ばんぼく)。奥さんとツーショットです。
伴睦 「かーちゃん、あれが俺が作った新幹線の駅だがや」
奥さん「まあ、立派だがや」
実際の伴睦先生はこういう話し方をされたかどうかはわかりませんが、銅像から考えると会話の内容はこのようなものではないかと考えてしまいます。
岐阜県出身。衆議院議員当選13回。衆議院議長、国務大臣、自由民主党副総裁など要職を歴任、戦後政界の重鎮で、代表的な党人派政治家でした。
このため、同じ党人の河野一郎とは仲が良かったようですが、官僚あがりの佐藤栄作とは終始そりが合いませんでした。でも同じ官僚あがりの池田勇人との関係は良好でしたが。(池田の方が大野に気を使ったらしい)
戦後政治を描いた「小説吉田学校」では前半で活躍。筋を通す人物として描かれています。
また、伴睦さんの名言として「猿は木から落ちても猿だが政治家は選挙に落ちればタダの人だ」という言葉が残っています。まさしくその通り。
しかし、新潟の浦佐駅にある田中角栄の銅像も大きいけど、この銅像もばかでかい。政治家の銅像ってなんで大きいんだろう。
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