大村 益次郎 (1824〜1869)
銅像のある場所 東京都千代田区 靖国神社
日本の近代陸軍のもとを作った大村益次郎。本名は村田蔵六。
長州の村医者の生まれです。
大坂の緒方洪庵について蘭学を学び、その影響で欧米の近代軍学を修め、長州藩から軍事指導者として迎えられました。
長州征伐では長州軍を率いて石州口から出陣。非凡な作戦で幕府軍を打ち破りました。
その後、戊辰戦争、彰義隊討伐など指導しました。
維新後は、近代軍制の制定に尽力しましたが、京都木屋町で刺客に襲われ重傷を追い死亡しました。
死の間際、来るべき内戦にそなえ大阪に大砲を集めさせましたが、それがのちの西南戦争で大変役に立ったと言われています。
この人物も一種の天才なのですが、しばしば天才が変人といわれるように、この人物もかなりの変人だったようです。有名なエピソードですが、真夏の挨拶で「今日は暑うございます」と人が言うと、益次郎は「夏は暑いのが当り前です」と答える偏屈ぶり。言われた方はムっとしますわな。本人は悪気がないのですが、こういう対人感覚の無さが人からしばしばあらぬ恨みをかったようです。(それが暗殺の遠因にもなったらしい)
銅像は、彰義隊討伐の時のもので江戸城富士見櫓から戦況を見ていた様子の物だそうです。写真では見づらいのですが手には双眼鏡を持っています。
しかしかなりデカイ台座の上にあるので写真を撮るのには大変難易度が高い銅像だと思います。
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