小栗 忠順 (1827〜1868)





銅像のある場所 群馬県群馬郡倉淵村 東善寺

 小栗上野介忠順は幕府の重職を務め、最後は勘定奉行を務めました。その間、郡県制の導入をはかり、横須賀軍港の基を作るなど、後の日本の近代化の青写真を作った人物です。
 幕府軍が、新政府軍に鳥羽伏見の戦いに敗れると、小栗は徹底抗戦を唱えますが、勝海舟の和平論が通って小栗は領地の上州権田村に隠遁します。

 その隠遁した小栗が仮住まいとして暮らしたのが、この銅像のある東善寺です。東善寺は小栗家の菩提寺でもありました。

 混乱に乗じて暴徒が権田村に押し寄せましたが、小栗は村民を組織してこれを撃退しましたが、これを見た西軍は小栗に謀反の疑いがあると言ってろくな取調べも行わず、処刑してしまいました。享年42歳。

 小栗が処刑された三ノ倉の烏川の河原には「偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる」の碑が建っています。



●倉淵村三ノ倉烏川の処刑地跡に建つ石碑
「偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる」とあります。

しかし、案内板が小さいので探すのに苦労しました。傍らのこの旗が目印です。



●東善寺には、小栗の墓とともに、一緒に斬られた養子又一と家臣たちの墓があります。

向かって右が小栗忠順の墓、その左が養子又一の墓です。



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