仁科 盛信 (?〜1582)
仁科五郎盛信は武田信玄の5男。信州の名家、仁科氏に養子に入りました。
武田家滅亡時、盛信は伊奈の高遠城に篭城。織田の大軍を相手に戦い、ほぼ全員討ち死にするまで戦い、盛信も壮烈な最期を遂げました。
盛信と城兵の遺骸は領民の手によって城を見下ろす山に葬られ、その山は盛信の通称、五郎から「五郎山」と呼ばれるようになりました。
ちなみに盛信の名は「信盛」と訛伝されて長野県歌『信濃の国』に歌われています。
旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆、この国の人にして 文武の誉れ類無く 山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず
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