中野竹子





銅像のある場所 福島県会津若松市

 中野竹子は会津藩士、中野平内の娘。
 会津戦争では母こう、妹優子とともに戦闘に参加しました。

 藩士の子女で薙刀の名手を集めた部隊(のちに「娘子軍」とよばれた)がありましたが、竹子はその中心人物として活躍しました。

 慶応4年8月25日、城下柳橋で長州、大垣兵と戦闘。銃弾が命中して竹子は倒れ、母こうの介錯により息絶えました。享年22歳。
 竹子の薙刀には、「もののふの猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」の一首を記した短冊が結ばれていました。



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