永田 鉄山 (1884〜1935)





銅像のある場所   長野県諏訪市高島城

 永田鉄山(ながた てつざん)は、大正・昭和の陸軍軍人です。

 「将来の陸軍大臣」といわれるほどの陸軍の逸材でしたが、陸軍省軍務局長の時に、執務室にて暗殺されました。昭和10年8月12日のことです。
 殺害したのは、陸軍中佐相沢三郎でした。

 この暗殺の背後には陸軍部内の派閥抗争がありました。
 当時、陸軍は「皇道派」と「統制派」の2つの派閥に分かれており、永田鉄山は「統制派」の中心人物でした。
 軍務局長に就任した永田は、「皇道派」の領袖、真崎甚三郎大将を教育総監の要職から更迭。これが永田暗殺の引き金となりました。

 永田軍務局長の暗殺は、陸軍内部の対立を表面化し、抗争はエスカレートしました。そしてその抗争は昭和史上最大のクーデター二二六事件へと発展しました。



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