長岡 外史 (1858〜1932)





銅像のある場所 新潟県上越市 旧師団長官舎

 長岡外史(ながおか がいし)。明治、大正期の陸軍軍人です。
 山口県の出身。
 日露戦争時には、少将。参謀次長を務めました。
 後に、高田13師団の師団長になり、スキーを軍隊に導入しました。これが日本のスキーの始まりでした。その後、スキーの普及に努めたそうです。
 また、飛行機の普及にも大きく貢献しました。

 以下は、司馬遼太郎氏の長岡外史の紹介。

 長岡は「世界一」と自称する長大な八字ひげをはやしている妙な人物で、その点ではいかにもいかがわしいハッタリ屋を想像させた。
「ケレン師である」
 と、蔭口をいう者もあり、そういうところも多少はあったが、根は自分の利口と豪快さを誇示したいだけの子供っぽい性格の人物で、かつてふれたように、戦略戦術家にもっとも必要な天性の想像力はもっていた。ただその想像力はときに夢想化することもあったが、かれが将来、スキーを軍隊に導入したり、飛行機の出現当時もっともはやくそれに目をつけ、陸軍部内を啓蒙させたことなどは、かれの想像力のたくましさを証拠だてるものであった。

 長岡外史のひげは、19.7インチもあり、かれがのちに熱中した飛行機のプロペラのようなかたちをしており、もしひげが回転するものなら、長岡はこのひげで空でも飛べそうであった。天性のオッチョコチィなのであろう。
 当時、アメリカに22インチというひげのもちぬしがいた。この男が世界一であった。世界第二が日本の長岡外史である。
「これもわしの愛国心のあらわれである」
 と、長岡は大まじめで解説するのがつねであったから、照れるという感覚があたまからない人物であった。
「いったい長岡はできる人物なのか、それとも単なる三流人物がハッタリであそこまで行ったのか」
 ということは陸軍部内でも後年まで疑問とされた。かれの死後も、この疑問はとけていない。しかし世界第二のひげを毎日手入れして公衆の面前にその顔を堂々と押しとおしていたということで、この人物の一部分をとくかぎがあるかもしれない。
                                    『坂の上の雲』司馬遼太郎より抜粋



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