毛受勝助 (1554〜1583)
銅像のある場所 愛知県尾張旭市 文化会館
毛受勝助(めんじょう しょうすけ)は尾張春日井郡稲葉村(現、尾張旭市稲葉町)の人で、12歳のころより柴田勝家に仕えた。
元亀元年(1571)伊勢長島の一向一揆の戦いに17歳で参加し、敵側に奪われた勝家の騎馬を取り返した功により、勝家の2字を授かり、勝助家照と称した。
後に近習となって越前のうちで1万石を領した。
天正11年(1583)勝家と羽柴秀吉が激突した柳瀬の役、賎ヶ岳の合戦に従う。
柴田勢の総崩れにより討ち死に覚悟の勝家を北の庄(現、福井市)に退かせ、主君の身代わりになって、兄茂左衛門とともに4月21日悲壮な戦死を遂げた。享年29歳であった。 (掲示板から引用)
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