松平 容保 (1835〜1893)





銅像のある場所   福島県会津若松市 愛宕神社

 松平容保(まつだいら かたもり)。「悲劇の会津藩主」といわれます。

 松平容保は文久2年、幕府より「京都守護職」を拝命しますが、この京都守護職就任が後の会津藩の悲劇の発端となりました。
 当時、京都は尊皇攘夷派の浪士により治安は著しく悪化し、容保は治安回復のため新撰組を使うなどして治安回復に努めました。
 その功績により時の孝明天皇から自筆の感状を下賜されるという栄誉を受けました。

 しかし、長州藩など尊王攘夷派の憤激を一身に負う形となり、やがて時勢の回転により立場は逆転。会津藩は朝敵の汚名をうけて新政府軍の攻撃を一身に負うことになりました。

 会津若松城に篭城すること死闘一ヶ月。ついに降伏。

 容保は捕われて永禁錮となりましたが明治5年に許されて東照宮宮司となりました。



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