木曽 義仲 2 





銅像のある場所   富山県小矢部市  埴生八幡宮前

 寿永2年(1183)、加賀と越中の国境、砺波山をはさんで木曽義仲は平家方、平維盛の10万の大軍と対陣しました。
 義仲は越中側の砺波山の麓、埴生に陣を布き、そこにあった埴生八幡宮に戦勝祈願をおこないました。
 その霊験あってか義仲は砺波山の倶利伽羅峠で火牛の計で平家軍を谷底に叩き落し、これを破りました。そして、この一戦に大勝をおさめた義仲は一気に京都に攻め上りました。

 この像は、倶利伽羅峠の合戦800年を記念して造られたそうで、日本で1番でかい義仲像だそうです。(というより、木曽義仲の銅像はそんなに数はないと思いますが)

〈火牛の計〉
火牛の計とは牛の角に松明をつけて敵陣に突っ込ませ敵を混乱に陥らせる作戦です。
中国の戦国時代、斉の知将田単が生み出したとされています。
日本ではこの倶利伽羅峠の戦いと、北条早雲が小田原城を攻め落としたときにこの計を用いたことが有名です。

倶利伽羅峠にある「火牛」の像です。
牛は熱かったでしょうね。



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