木曽 義仲 (1154〜84)





銅像のある場所   長野県木曽郡日義村  義仲館前

 義仲の横にいるのは奥さんの巴御前。義仲とともに戦場で戦ったそうです。
 長野県の歴史の中で、長野県人で天下を取った人は2人いますが、そのうちの一人がこの木曽義仲です。
 もっとも生まれは武蔵の国ですが、まだ子供の時に一族の内紛で父親が殺されると、追手をのがれて木曽の豪族、中原兼遠のもとで養育されました。だからりっぱな長野県人!

 北陸で平家軍を打ち破った木曽義仲は一気に京都になだれ込みましたが、木曽軍の狼藉と義仲自身の粗野な振る舞いに後白河法皇に嫌われて、源頼朝に義仲追討の院宣を下します。
 それに怒った義仲は法皇を監禁し、征夷大将軍の位をもらい、「朝日将軍」の称号を得ます。
 しかし、頼朝の命を受けた義経によって木曽軍は敗北し、義仲は討ち取られました。
 享年31歳。上洛して天下をとってわずか半年のことでした。
 法皇を監禁したということで、今まであまり評価が高くない義仲ですが、実際は義仲と頼朝を政治的天秤にかけ、政治をあやつろうとした法皇の行動に怒ったからだといわれ、非はむしろ法皇にあるようです。
 現在、木曽義仲の復権運動が関係各地を中心に行われています。

 ところで、信州人でもう一人天下を取った人とは?答えは第80代首相、羽田孜氏です。
●信州人で2番目に天下を取った羽田孜氏。地元上田で真田幸村の隣に銅像が立つ日は近い?



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