広瀬武夫 (1868〜1904)
銅像のある場所 岐阜県高山市 城山公園中佐平
海軍軍人。大分出身、高山育ち。海兵15期。ロシア留学、駐在。
日露戦争時は少佐でした。
旅順港口閉塞作戦(ロシア海軍の軍港、旅順の入口に廃船を沈め、軍艦の出入りを不可能にしてロシア軍艦を旅順から出さないようにする作戦)に参加し、沈める福井丸に乗船しました。
沈みかける福井丸から脱出するさい、部下の杉野上等兵曹の不在に気づき、福井丸を三度探しますが見つからず、やむなくボートを漕ぎ出したところ、敵弾を受けて戦死しました。
その部下思いのエピソードと、壮絶な戦死の有様から、軍神と称えられ、小学唱歌「広瀬中佐」という歌にもなりました。
戦死後、中佐に昇進。
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