江川 英龍 (1801〜1855)



   

銅像のある場所   静岡県田方郡韮山町  韮山反射炉前








銅像のある場所    韮山高校

 江川英龍(えがわ ひでたつ)。
通称、太郎左衛門。号は坦庵(たんなん)。
 江川家は、代々伊豆韮山の代官でしたが、英龍が代官として活躍した時代は、江戸時代の末期。欧米列強が続々とアジアに進出し、日本近海も異国船が出没しました。
 蘭学を修めた英龍は、渡辺崋山、高野長英と交わり、外国の情勢を知り、日本の置かれた立場を憂慮しました。

 英龍は、沿岸警備の強化を幕府に建議し、西洋砲術の研究と農兵制度の導入を図り、東京湾のお台場の建造、銃砲鋳造のための反射炉の建造など、国防に関して大いに活躍しました。
 また、民政官としても優秀で、支配地は、伊豆、駿河、武蔵、甲斐、相模、伊豆諸島に及び、領民から「世直し江川大明神」と敬われました。
 このような多忙な身でありながら、多くの書画、詩作が残っており、大変な文化人でもありました。

● 江川邸(静岡県田方郡韮山町)
江川家は、鎌倉時代からこの地方を治め、源頼朝がこの地から平家打倒の挙兵の時、これに従ったという古い歴史をもっています。
28代、英長のとき、徳川家康に従い、伊豆が幕府直轄領になるに及んで、伊豆の代官になりました。

現在残る江川邸は、室町時代に建てられた部分と、江戸時代に建てられた部分が含まれています。
現在、国の重要文化財に指定されており、内部は一般公開されています。


● 江川邸にある「パン祖碑」
江川英龍は兵糧の確保のため、保存の利く西洋のパンを焼くことを思いつき、長崎のパン職人「作太郎」が江戸に来ていることを聞いて家来にその製法を学ばせました。
作太郎は江川邸にきて実際にパンを焼き、当時、全国から江川邸に来ていた砲術修行の若者たちは、このパンの焼き方を身に付け全国に帰りました。

現在「パン祖のパン」と言う名前でこのパンが復元されていますが、乾パンに近いものです。



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