徳川 宗春 (1696〜1764)


愛知県名古屋市千種区 平和公園 建中寺墓地

 徳川宗春は尾張藩7代藩主。
 時の将軍、徳川吉宗の倹約政策に対抗して、奢侈贅沢を奨励する政治を行いました。これは、消費をうながし金銀が流通することにより景気を浮揚する目的でした。
 この政策により名古屋には商人、芸人が集まり今日の名古屋の素を作ったとも言われています。
 しかし、この動きは将軍吉宗への反抗と映り、尾張藩存続を危惧した尾張藩重臣と、それと手を組んだ幕閣の策動により宗春は失脚、隠居謹慎させられました。
 死後も罪は許されず、この墓石には金網が長い間かぶせられたといわれています。

 墓石には「贈亜相二品章善院殿厚譽孚式源逞大居士 尊儀」と刻まれています。
 罪人とはいえ御三家の殿さま。恐ろしく長い戒名ですなあ。



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